【講師のフリートーク】終戦70年特番の話

2020/08/15

今から5年前の2015年8月15日、
私が手掛けたラジオドキュメントが放送されました。

番組のタイトルは
「茨城放送 終戦70年特別番組
 721(ナナフタヒト)語りつぐ特攻兵器桜花」

私はディレクターとしてこの作品を制作しました。

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今から約75年前の1945年頃、
現在のカシマスタジアムに近い茨城県鹿嶋市・神栖市に、
当時の日本海軍の特攻兵器の基地がありました。

特攻兵器の名は「桜花(おうか)」

「桜花」は1人乗りグライダーのような機体で
搭乗員ごとアメリカ軍の艦船に体当たりすることから
「人間爆弾」とも呼ばれました。


写真:茨城県鹿嶋市 桜花公園内の桜花レプリカ


写真:茨城県神栖市 神栖歴史民俗資料館
   母機の一式陸攻と桜花のレプリカ

特攻兵器桜花の部隊の名称は
第721海軍航空隊。通称:神雷部隊。

番組タイトルは部隊の数字から引用しました。

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作品は、当時最年少の16歳で桜花の部隊に加わった
元搭乗員・浅野昭典さんのインタビューを中心に構成。

この作品では音楽がほとんど流れません。

2人の若いナレーターの声と
元搭乗員の浅野さんの声で番組が進行します。

浅野昭典さんは当時16歳。

桜花の突入訓練の一環で、零戦(ゼロ戦)や
桜花訓練機K1での降下訓練を重ねていました。

浅野さんは今の高校生の年齢で、
ゼロ戦に乗る日々を送っていたのです。

「死しかなかった」

「死ぬのが怖くなかったんだよ」

浅野さんは取材のインタビュー時、
静かな口調でそう話してくれました。

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私は無数の文献を調べました。
脚本は27回の更新を重ねました。

この史実は地元でも知らない人が多く、
絶対に風化させてはいけない、と思ったのです。

戦時下の特攻兵器を取り上げた作品ですが、
番組は淡々と史実を伝える作りになっています。

私は思想的中立の立場で番組を制作しました。

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企画、脚本、演出、編集など
一連のディレクター業務が私の仕事でした。

テーマ曲の楽曲は戦時下のため現存せず、
辛うじて残っていた楽譜をもとに、
地元のミュージシャンにハーモニカの再現演奏を依頼。

私の脚本が史実と合致しているか、
戦史研究家の方にも会いに行き、
細部の時代考証もしていただきました。

脚本と編集の作業は特に難航し、
朝4時までの作業を丸3カ月続けました。

無我夢中でした。

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番組制作時、私は2人の若いナレーターに
こう言いました。

「これはとても大事な話。
 だから、100年先の人に届けよう」

2人のナレーターは、私の呼びかけに
見事にこたえてくれました。

ミキサー(技術担当者)も音作りのための
最高の仕事をしてくれました。

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作品は報われました。

このラジオドキュメントは放送業界の最高賞の一つ
日本放送文化大賞にエントリーし、
関東・甲信越・静岡地区の地区審査を1位で通過。

グランプリの座は逃しましたが、茨城放送開局以来初の
日本放送文化大賞ノミネート作となったのです。



社内外の関係者の皆様の多大なる協力があってこその
ノミネートだったと思っています。

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このラジオドキュメントの情報は
民放連のページでも掲載されています。

日本民間放送連盟 第12回日本放送文化大賞情報
https://www.j-ba.or.jp/category/awards/jba102014

作品は著作権の事情もあり、現在は
横浜市の放送ライブラリーでのみ視聴できます。

終戦75年の8月15日という特別な日に、
ぜひこの情報をお伝えしたく、この長文を記しました。

私が全身全霊で仕上げた作品です。
貴重な証言が虚飾なく記録された番組です。

ぜひご興味を持っていただければ幸いです。

(講師:高木圭二郎 記載:2020年8月15日)
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※講師の高木は、すでに茨城放送を離れ、
 現在は講師活動・フリーアナ活動をしています。

※桜花レプリカ写真は取材時の特別許可のもと
 撮影しました。